家が汚れると生活意欲がなくなり、そして家が汚れていくという負の螺旋

環境危機察知能力だけは無駄に高いので週末には大掃除を断行する予定である。
 
 
偉そうにまた書くと言った手前ながら『オゾ引。』を外界に出力してしまったことで本物の五月病っぽくなっている。
娘が一人片付いた後の母親の心境。
片付いたと言っても業界に出せたわけではないのだが、やはりちょっとは休憩をはさまなくてはいけない。
着想、発想は浮かぶが構想が浮かばないのだ。
 
 
自重しようと思いつつもやっぱり映画を観てしまう。
 
『かいじゅうたちのすむところ』
原作レイプ。そりゃあ絵本をそのまま脚本にしたらそうなるわな。
でも原作は原作であって、テーマや解釈にズレがなければちゃんとした映画の脚本として作るべきなんじゃないの?
着ぐるみを使うアイディアは好きだったよ。ガチャピンも目じゃなかった。
 
『ナルニア国物語 第二章 カスピアン王子の角笛』
一章の時点で女の子二人の可愛くなさに観るモチベーションなくしていたものの(笑)
ええと、アスランチートすぎて吹いた。じゃなくて、
一章よりもB級感増したなあ、という見解。以上っ。
カスピアンがksピアンだったのは「未熟」というテーマが見えたからともかく、
一度王であったピーターまで青臭いのは対比にならんだろう。そもそも好感が持てない。
 
『オリバー・ツイスト』
戦場のピアニストの監督作にしては明確な善悪の仕分けが曖昧だったが、貧困とはそういうものとも言えるか。
単純に「貧困の下での善と悪」でいいのかな。それにしてはラストが因果応報なあたり宗教観丸出しだったわけだが。
ところで、この作品が名作であることを否定するわけではないけれど、「感動の名作」と謳われていると
クライマックスに重点が置かれているような気がしてしまう。しかしこういう作品が見せたいのは全体であって、
謎解きのような最後に劇的な何かがあるわけでもないのだ。
というか、ああいう宣伝の仕方ばかりするから消費者側に演出厨が増える。あまり人のことを言える義理じゃないが。
 
『20世紀少年 第二章・最終章』
原作レイプ。いや、俺は原作未読なんだけれど、単体として観ても「2Dを3Dに改悪しました」感が半端ない。
実写化ということはより映像的により現実に近づいてしまうということだ。その効果は媒体による縛りと言い換えてもいい。
で、その縛りに見事に絡め捕られて墜落させられているというか、そもそも縛りから抜け出そうとする気配すら見受けられなかったというか。
要は、「B級っぽいながらも現実である」という説得力のない作品になってしまっていた。
某氏から聞いた話を総合するとテーマ斬りなどの悪行も働いていたらしい。やり口は本当にテレビ局だ。
というか、ライブシーンなんかいい加減マンネリだと思うのだが、テレビ局?
自分が原作も読破していたら蛇蝎のごとく憤怒したに違いない。
 
他にも借りた気がするのに覚えていないのは何故か。まあいいや思い出したらで。
 
 
魔法の言葉「新入生」。しかしもうそろそろその言葉もお払い箱の時期であろう。
というか、そろそろ「高校四年生」気分はやめてもらわねばならん。
いつか上のあるお方が言ったように、「大学生は社会的にはもう社会人」なのだから。
しかしながら、今期開始当初は確かに若い若いと思ってはいたが、
最近は若気の至りなどよりも幼さや甘えの方が目立ってきている気がしてならない。
気が回らない、などというレベルの話ではない。そもそもしたたかさが足りない。
人間十八にもなればもう少し狡猾に生きられるのではないかと思うものである。

nanatsuhachi について

かくひと。 はてなに移転しました。おそらくいい例→http://d.hatena.ne.jp/nanatsuhachi/
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